Update : 2020.06.06

Keigo M

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「滔々と流れる澄み切った大河」。私がマリ先生と最初にお会いした時に抱いた印象だ。
Output基礎からVectorに通い始めて、マリ先生のクラスを卒業するまでその印象は変わらずそのままであった。

 

先生の授業を一言で表現するなら、稚拙で陳腐な表現なので自分でも嫌になるが、「マジック」が一番近いのかもしれない。

自分では自分の英語が変化しているのか全くわからないのだが、周りから「変わったね」と言われることが多くあった。
自分ではその変化に気づけなかったので、最初は自分が裸の王様のように貶されて課金を促されているだけなのではないかと疑ってさえいた。

 

「マジック」の正体は何なのか、私なりに考察してみた。
それは単純にいうと2つに尽きる。圧倒的な英語力と洞察力である

前者はこの学校のprincipalでもあり、私が説明する必要などないし、私などがここで描写することもできない。
それを知りたければ、彼女の生徒の感想や評判をネット上で探せばいくらでも見つけることができるだろう。

私が最も驚いたのは後者の能力の方である。
能力としては、前者よりも後者の方が高いのではと私は勝手に算段している。
元々持って生まれたものに加え、professionalな前職の経験、そして数えられない生徒を指導してきた中で磨かれたのであろう。その洞察力は一級品である。

 

圧倒的な英語力を基盤にその洞察力から生み出される助言や指導は、体験する価値ありである。
あなたが絶好調を飛び越えた時にはあなたを優しく諫め、あなたがどん底を突き抜けたところにいるなら、あなたが自分で立ち上がることの大切さに気づくまで厳しく見守っているだろう。
ちょっとした面談をすれば、その人の今の状態を仔細に把握し、最適な指導を施して自分でも気づかないうちに英語が上達している。そんな印象である。
しかし、こう書いてしまうと、その辺のESLにも似たような先生はいるように思われるのだろうか。
んー実に難しい。だが、今の私の日本語力ではここが表現できる限界だ。

 

日本語の「マジック」には二通りの意味がある。手品と魔法である

彼女の「マジック」はどちらであろうか。私は手品だと思っている
それがあたかも魔法に見えるように緻密な計算と努力を重ねてきているのだ。
魔法とさえ見紛う彼女の業にはどれほどの仕事が隠されているのであろうか。それを推測するだけで頭が下がり、畏敬の念を懐くばかりである。

ただ一つだけ残念に思うことがあった。彼女の業があまりにも優れているため、その業に頼り過ぎているのではないかと感じたことである。
それは、能力が高ければ高いほど陥る罠なのかもしれない。マルチタスクにこなす技量が高まれば高まるほど陥る罠といえるだろう。
業に頼り過ぎればその人の真の想いが伝わりにくくなると私は考えている。
ここが義務教育のような学校ではないことは百も承知しているが、英語というコミュニケーションを指導することを生業とする教師にとって、その想いが伝わることは重要なことの一つなのではないだろうか。
誤解して欲しくないのだが、彼女にその想いがないと言っているのではない。それが伝わりにくくなっていると感じたということである。

私は彼女が最後に見せた血豆を忘れることはないであろう。だが、血豆を見せることなくその想いが伝わればと願うばかりである。

末筆になりましたが、ここに書いたことは私の勝手な感想と憶測であり、事実とは異なります。失礼に感じた方がいればお詫びいたします。

 

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